乃木坂46が面白い〜真夏の全国ツアー2017〜

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(新潟名物「タレカツ丼」。美味しゅうございました)

連休のうち二日間、新潟で乃木坂46のライブがあって、全3公演に参加してきた。


このツイートが1公演目の感想なんだけど、このうまく言語化出来ていないのが逆に物語るくらい、良いライブだった。どんな言葉を並べ立てても陳腐に感じてしまう。

しかしこの気持ちを忘れたくはないので、野暮ではあるが記録ついでにブログに公開したい。

 

確かに久しぶりのライブだったし、この夏初めての地方公演だったし、席は最前から2列目と条件は良かったけれど、そんなの関係ない程楽しかった。

これまでだって最前から2列目は何度かあったし、地方公演だってある。ライブは正確には分からないけど、ハマってから3年ほどで20回以上は行ってるけど、間違いなく1,2を争うほどに、

そうした諸条件関係なく"なんか"良かった。
沸く楽しさも醍醐味だけど、それよりも深い味わいのある楽しさだったように思う。

ほら、陳腐になるでしょ?笑


そもそも僕は、最近乃木坂熱が冷めていた。乃木坂にハマるきっかけの1つで、追い続ける理由の多くを占めていた橋本奈々未が卒業して、誰を焦点に追えば良いかが分からなくなったことや、最近の楽曲(主に表題)が個人的に微妙だったことがその理由。

また、欅坂46が面白過ぎるというのもある。

元々握手にあまり興味がない自分にとって、それらの要素の欠落は致命的で、あれ程好きだったはずのライブすらあまり楽しめなくなっていた。

もちろん自分のマンネリっていうのもあるんだけれど、なによりファンも含めて全てが予定通りでつまらなく映った。

やたら統一サイリウムをしたり、コールが適さない曲でもコールを入れたり、コールもワンパターン化していたり。タイアップという大人の事情でギガ200とかを毎公演入れてくる。ダブルアンコールもあって当たり前の状態。

ちょっとテンプレ過ぎない?

秋元康って予定調和を嫌うんじゃ?

と、もはや好きだったライブにすら懐疑的になっていた。

このライブを見るまで、東京ドーム公演を区切りに見るのをやめても良いかもしれないとすら思っていた。

だが、その考えは散る。新潟1日目の公演で。

OVERTUREが流れる。

この時はまだ「いつものやつね〜」って感じでルーティーンの如く声を出していた。

しかし次で一気に引き込まれる。


一曲目「逃げ水」


乃木坂46 『逃げ水』

 

曲自体は正直とくに好きではないし、むしろ「あぁ…」って感じだったけど(後述あり)、「こんなに美しかった」のかというくらい、スラリと伸びる手足、首、その細緻な造形に一気に持ってかれた。きっと振り付けがそれらを増幅させているのだろう。これまでも近くで見ることはあったけど、とても綺麗に見えた。

ステージのどこを見ても楽しくて、うっとりして、「逆にどこを見ればいいんだ…」と嬉しい悲鳴だった。

 

そこから「ガールズルール」「夏フリ」「太陽ノック」と夏曲が続いて一気に沸く。単純に楽しい。

そして何より、3期生の山下美月に目を奪われ続けた。

元々橋本奈々未が卒業して、一応誰かを追いながらの方が追いやすいみたいな理由で山下美月に興味は持っていたけど、全く熱心ではなかった。

だが、その弾けんばかりの躍動感に思わず目で追ってしまった。サイリウムカラーを山下美月にしていたからか、何度も凝視されて(勘違いの可能性は大w)、その目力にこちらが根負けしてしまったりもした。

その後も彼女を事あるごとに追っていた(追わされていた)が、そのダンスはイかれていた。ある意味。他のどのメンバーより髪を振り乱して、全力でキレッキレに踊るのは、上手い下手を超えて遠くからでも山下美月だと分かるものだった。

このコラムを読んだ後というのもその味わいに拍車を掛けた。

nogizaka-journal.com

実際、二日間の公演の際はそれなりに遠い席だったが、踊りで判別できた。これからが楽しみ。

「泣いたっていいじゃないか」はAメロがたまらなく好きになった。高山一実センターというのも引き立つ。ライブで曲を好きになるのはライブの楽しみの1つだね。

3期の曲「未来の答え」は偶然か必然か妙にチンチクリンな衣装や左上右上に引っ張られる踊りから溢れるあどけなさが、見ていて優しい気持ちにさせてくれる。また、メロディから初期の乃木坂を感じてしまうのは僕だけだろうか。MVのテイストも含めて。


乃木坂46『未来の答え』Short Ver.


そして、「ライブ神」。

MV2度くらい見て「うーん」と思ってたはずの曲だったが、ライブだと重低音が響き、リバーブもかかりまくってて滅茶苦茶にカッコよかった。ライブで映える曲、ライブ神である。

セカラバ、世界で一番孤独なLoverはもう期待通り。毎回ダンスパートが充実しているが、やっぱり今回がすごく良く感じた。ただ、ないものねだりではあるが、橋本奈々未がこの曲に居ないというのは物足りなさを感じずにはいられない。

「設定温度」は1期、2期、3期が揃った初の曲という演出がただでさえ素敵な曲に奥深さを与えてくれた。メロディも歌詞もこれ以上ないくらいに最高である。3rdアルバムで個人的に一番の良曲をもっと好きにさせてくれて感謝です。

ここからは、「君の名は希望」「ぐるぐるカーテン」「命は美しい」「バレッタ」と普通に聴いても素晴らしい楽曲が並ぶのだが、これらにアレンジを加えた上でシッティングでサイリウムなし、コールなしで鑑賞した。

このコーナーは今回のツアーの地方公演で行なっていたものだが、最高の試みだと思う。

以前から、友だちと「乃木坂はオールシッティングでコンサートを出来る」と話していて、まさにそれが少し実現した。

予定調和をものの見事にぶっ壊していてクールだった。

運営も、ライブ熱がトーンダウンしてしまうんじゃないかとよぎったはずだし、実際にテンションは下がっていた(これは仕方ない)けれど、満足度は高くて、オールシッティングでも見たくなった。きっと乃木坂にしか出来ない。


で、「あさひなぐプロジェクト」。これはノーコメント。笑
トップアイドルだししゃーないか()


ここから「Rewindあの日」「アンダー」「女は一人じゃ眠れない」と最近の中では一際際立つ曲が続く。「Rewindあの日は」これまでの乃木坂一期の少女と大人の狭間から一気に大人へと変化を遂げたと感じさせる、90年代っぽくて都会的で大好きな曲だが、案の定最高だった。ライブの中で一番ワクワクしていたかもしれない。

西野七瀬桜井玲香若月佑美と表現力豊かなメンバーから漂う色気は悶絶必至だった。


「アンダー」はその名の通りアンダー楽曲。大所帯グループのジレンマ、川後陽菜の「乃木坂さん」発言など、アンダーの彼女らは乃木坂46の一員ということを実感できていなかったりもする。歌詞もそんなアンダーを歌っているけど、その安直なまでの直接的な表現と彼女らの静かな気迫に自然と応援したくなる。

ドキュメンタリー仕立てのMVも必見だ。


乃木坂46『アンダー』Short Ver.

 

「女は一人じゃ眠れない」これもこのライブで好きになった楽曲。これだけ良いカップリングが揃ってる18th「逃げ水」なのに、表題が惜しいのは何とも勿体無い。それでもミリオン超えるから良いのかもしれないが。。。

(と思っていたのだが、なんだか少しよく聞こえるようになってしまった。単に単純接触を繰り返したからかもしれない。サビ以外はいい曲だと思える。サビが良いと思えないのは致命的だし、結局それまでという事ではあるんだけどね。)


制服のマネキン」は生駒里奈生田絵梨花不在で、フロント3人中2人がいなくて少々物足りなかったし、やっぱりこの2人は乃木坂に欠かせないと再認識する。楽しいは楽しかった。

本編ラストは「ひと夏の長さより」

これも逃げ水のカップリングだが、これ表題でも良いのでは?と思った。夏曲だから盛り上がる曲にしたんだろうけど。


そしてもう一つ棚ぼた的に良いなと思った出来事として、

三日目、ダブルアンコールが行われなかったことがある。新幹線の都合なのだろうが、これも良かった。ファンだから少しでも長く見たい気持ちは当然あるのだが、そう毎度毎度ダブルアンコールが起きてしまっては、それこそ予定調和だ。


ダラダラと書いてしまったが、筆舌に尽くしがたいほど良いライブで、2年前に戻った気分で嬉しくなる。


このライブでむやみな統一サイリウムや不用意なコール、タイアップが消えたわけではない。

でもそんなものを些末なことにするほどに、素敵なひとときであったことに疑いはない。

強烈なコンセプトを押し出す欅坂46の台頭、深川麻衣橋本奈々未といった支柱の喪失、3期加入といったグループとしての過渡期から吹っ切れようとしているかのようだった。

丁度2年前に「乃木坂らしさ」に直面していた彼女ら。今回のライブはこれまでの「乃木坂らしさ」を捨てない、だけど新たな円熟味を帯びるいまの彼女らにしかできない「乃木坂らしさ」を共存させようとする、彼女ららしい優しさに満ちた解決方法で次のステップへと登らんとしているのではないかと思った。

メンバーが口々にこのツアーで「乃木坂46がもっと好きになった」と言っていたのはそういうことなのではないかと思っている。

すでに中元日芽香伊藤万理華の卒業が決まり、まだまだ卒業者が相次ぎそうではある。でももう大丈夫。

乃木坂46が面白い。

「夫のちんぽが入らない」の読後はささやかな爽快感に包まれる

 

このツイートに僕の感想は集約されてしまうのだけれど、忘れないうちにもう少し深掘りして書き留めておこうと思う。フラットに本を読みたい人は読まないほうが良いかも。。

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仕事は分野で決めない方がいい?

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(こないだ初めて出した役満国士無双」、震えた)

しばらく考えていた事に一応の答えが出せたので書き残しておくついでに、みなさんにも問いかけしたい。仕事をどのように決めるかについて。熱狂できるものの出会い方について。

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自身と格闘する人間は美しい

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中学、高校を同じくした大切な友人が神奈川に遊びに来てくれて、3日ほど一緒に過ごした。

自分も不慣れな神奈川だけれども、中華街、みなとみらい、鎌倉、長谷、江ノ島といったベタなスポットを回りつつ、久々の再会ということでバカな話から真剣な話まで語り尽くした。

くだらない下ネタは中学時代から遜色なくて最高であったし、真剣な話は中学時代から進歩があって最高であった。

 

そうして話を聞く中で、彼は自分が去年直面していた似たような問題、というよりも苦しみに陥っていたので「ふんふん、わかるわかる」と話を聞いていた。

もちろん一応経験した身からの出来うる限りのアドバイスも当時の事を振り返りながらした。

 

話を聞いてる中でやはり思ったのは、題にもある通り「自身と格闘する人間」の尊さであり、美しさだ。

 

別にこのまま道を歩もうと思えば歩めるし、他人から見た表面的なスペックは申し分無い。だけれども、自分の中に現状への違和感があってそれと向き合おうとしている。

これは巡り巡って自画自賛みたいになってしまって嫌だが、中々出来るようで出来ないことだろう。そうした違和感を見て見ぬふりをする人が多いように感じる。

恐らくそれは、自身が漠然と描く理想とその違和感を抱える現状との間にある強烈なギャップを目の当たりにし、とてつもない苦痛を伴うからだろう。

だからみんな「良い大学入ったし」だとか「このまま就職すればとりあえずは安泰」とか本質的な部分であり最も大切にするべきはずの「自身の感情」から離れた、表面的な物差しで判断を下して、自分と向き合ったフリをしがちだ。

本当は自身と向き合うことが大切だと分かっているのに、そのギャップを感じるのがツライために、自身と格闘するのを諦めてしまう。

そして刹那的にいまある手軽な楽しさという名の楽を選択する。

そうした選択を重ねていった結果、だんだんと自身と格闘しない事が癖となり、格闘の仕方を忘れてしまう。

そのため、そうした違和感や違和感に従った選択を相談すると、自身と格闘する事を忘れてしまった大体の人は違和感を大切にする行為の選択には否定的な態度をとる。

たしかに、他人にはその人が抱える違和感が見えなくて表面的なスペックしか見えない為仕方ないのかもしれない。

だが、これはその人自身が自身と格闘するのを忘れてしまい、違和感というものに鈍感になっているからであるとも考えられる。違和感を大切にしたり、自身と格闘する感覚を忘れてしまっている為に、相談相手が違和感に従った選択をする事を理解出来なくて否定しまうのだろう。

僕はこれをすごく残念な事だと思う。自分の尊厳であったり、アイデンティティは自身との対話や格闘の中で培われるものだからだ。違和感に鈍感になり、自身と格闘出来なくなった人間はそうした自分の尊厳みたいな物を失っていき、ますます表面的な物差しや他人や社会が定めた物差しで相手のみならず自分を測ってしまう。

イチローは自身の故障に気付きやすくしたり、違和感に敏感になるためにトレーニングをしたり、スタイルをキープしている。そうすると身体がおかしい時にセンサーを発してくれるという。安打数や打率といった表面的な乱高下する成績に左右される事なく、長年トップレベルで走り続けてこられたのは、そうした自身の違和感や感覚を大切にし続けてきたからだろう。

これとは逆に自身と格闘、つまりはトレーニングをしない人は違和感に鈍感になり、表面的な物差しに左右され、人生の故障に知らず知らずに陥っていく。これほど辛い事はないし、残念なこともない。

一時の苦しみから逃れ続けた結果、慢性的にそうした状態に陥ってしまうのだ。

そしてそうした人間に限って一見すると社会に上手く適応しているように見える。だけれども、それは他人や社会が定めた物差しで自分を測る癖が付いてしまっているがゆえだ。社会が定めた物差しで測る能力ばかりが上がっていって、皮肉にも上手く適応出来てしまう。

それが果たして本来の人間の姿なのか、幸せな事なのか僕は疑問を感じる。みなさんの周りにも愛想が良くて、友だちが多くて、誰とでも仲が良くて、恋愛もいい感じで〜みたいな人*1はいないだろうか。

もちろんそうした人にも自身と格闘する人がいるのは知っているが、往々にしてそんな感じの人に限って薄っぺらくて醜い。丁度それは苦しいトレーニングする事をやめて、ブヨブヨの身体になっている中年男性のようだ。

そんな苦しみから逃れ続けたブヨブヨの人が美しいわけがない。

他人には理解されないながらも違和感を大切にし「自身と格闘する人間」は強烈な苦痛に苛まれているが、それゆえに余分な脂肪が削ぎ落とされスリムでめちゃくちゃに美しい。

 

僕の友人がそんな人で嬉しい。僕ももっと格闘せねば!

 

 

 

*1: あくまで一例なだけで、友だち多い人がそうであるというわけではないです。ただこういうタイプにそうした人が多いというのは観測範囲で感じる事です。

対人関係の悩みを無くす方法

「人間の悩みの全ては対人関係の悩み」と言ったのはアドラー。つまり対人関係の悩みを解決すれば人間の悩みはなくなるということ。

感覚で考えると「ホントにそうか?」と疑いたくなるけど、事実ベースで考えるとおおむね同意出来る気がする。何と言っても人間は社会の中で生きる人間だ。何をしようにも他者と関わらざるを得ない。つまり何かをして発生する悩みのそばにはいつも他者がいて、他者がいるばかりに悩みが発生する。であるならば、悩みを無くす方法は他者を排除するか、他者との悩みを解決するしかないわけだが、他者を排除して生きることは出来ないので、必然的に他者との悩みを解決する事、対人関係の悩みを無くす事になる。

それで早速その悩みを無くす方法だが、勿体ぶっても仕方ないので言ってしまうと

「自分と他者の課題を切り分けて考えること」

これのみだ。

細かいことを言うと、

・自己受容

・他者信頼

・他者貢献

が一応ゴールとして設定されてるんだけど、上の「自分と他者の課題を切り分けて考えること」さえ意識しておけばいいと思う。結局この3つもこの考えに回帰するから。

ではどうして自分と他者の課題を切り分けて考える必要があるかというと、「他者の課題に踏み込んでしまうこと」それ自体が悩みを引き起こしているからだ。

例えば、「何かを手伝ったり、頑張ったりしたのに誰も褒めてくれない」みたいな悩みは、何かを手伝ったり頑張ったりするのは自分の課題で、それを褒めるかどうかは他者の課題である。でも我々はつい「誰も褒めてくれない」という他者の課題の部分を悩んでしまう。他者が自分を褒めるかどうかなんてのはコントロール出来ないことなのにだ。コントロール出来ないということは解決出来ないということで、我々は解決出来ないことを悩んでいるのだ。こんな無駄な話はないし、そんなもの悩んでしまうのも当然だ。そもそも解決出来ないんだから。そして、解決出来ないからまた悩む。悩むけど、他者の課題だから解決できない。で、また悩む。堂々巡りとはまさにこのことで、恐ろしいスパイラルだ。

そう、我々は自分の課題に対して悩んでいるのではなく、解決しようもない他者の課題に対して悩むというスパイラルにはまっている。

 

ということは解決策としては、解決しようがないことは悩まないということになる。悩まないんだから悩みだって消える。こういうこと。なんと斬新で潔いのか。

悩みを解決するアプローチではなく、悩みそのものを無くすというアプローチだ。

そしてそれは他者の課題に踏み込まない事で実現でき、自分の課題と他者の課題を切り分けることから始まる。

砕けて言うと、悩んでも仕方ない、だったら悩まなければいいじゃん!ということ。こう書くと少々乱暴に聞こえるけど、間違った事は言ってないはず。だって解決しようがないんだから。

象を水辺まで連れて行くことは出来るけど、象が水を飲むかどうかは象次第でそこからは他者の課題なのだ。無理矢理飲ませる事は出来ない。出来る事はただ待つのみ。飲ませる事を悩んでも仕方ない。

これと同じだ。散々言うが、とにかく他者の課題に踏み込まない事、自分と他者の課題を切り分けて考える事。これさえ意識しておけば悩みそのものが無くなる。

 

「Aくんに嫌われてる」みたいな悩みだって、どんな行動をしても嫌う人は嫌うわけで嫌うかどうかは他者の課題なんだからそこに踏み込んで、自分を曲げたり悩むのは無意味ということになる。

すなわち、他者の課題は自分にはどうすることもできなくて、コントロール不能な事なんだから、諦めて自分の課題に集中した方がいいという事。

 

みなさん、他者の課題に悩む事をやめて自分の課題を解決しよう!

 

で、これはアドラー心理学を分かりやすく噛み砕いた「嫌われる勇気」から学んだこと。もっと深く知りたい方はぜひ!

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

完全負け戦だけど、クラウドファンディングに挑戦します

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タイトル通りこの度、クラウドファンディングに挑戦することになりました。

初めてなりにちゃんとプロジェクトを作ったとは言え、ぶっちゃけ審査に通ると思っていなかったので驚きです。

そして正直クラウドファンディングというと社会貢献だったり、自己実現のためのプロジェクトが多い中で、僕のプロジェクトが言ってしまえばビジネスという自己利益の割合が高いプロジェクトであること。

また現時点での僕自身の認知度や信頼度が低いこと。

この2点から圧倒的不利な状況であることは間違いないです。まぁ普通にこのままやってたら1円も集まるわきゃない。

でもやるからには勝ちたい。どうせならプロジェクト成立させたいわけです。このサービスが絶対世の中にとって良いものだと確信しているから。

 

Win-Winな家庭教師と生徒のマッチングサイトが作りたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

 

アイディア自体に目新しさは一切ありません。実際、既に同じようなサービスはあります。しかも何個かあります。ぶっちゃけパクリみたいなもんです。パクリ野郎です。


でもパクリでいいです。


だって、どれも結果を出してないから。

既存の事業者を壊すような結果に至っていないからです。

 

せっかくサービスがあっても普及してなければ無いも同然です。家庭教師の斡旋という市場があるんだから、オンラインだとしても市場はあるはずです。なのに壊せてない。

 

だったら僕が壊そう、そういう事です。図々しいんで。

僕なりに思う現在のサービスの問題点はクラウドファンディングのページに書いておいたので、目を通して頂ければと思います。つまり改善すべき点、勝ち筋です。

 

Win-Winな家庭教師と生徒のマッチングサイトが作りたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)



そもそもなんで壊したいのか、壊す必要あるの?なんでお前なの?って話をすると、、、

僕自身の不愉快な経験に基づいています。

 

僕は、家庭教師がなぜこんなに中抜きされないといけないのか納得がいきませんでした。民間の事業者を使うと、それなりに一生懸命勉強してきて、それを活かしているのにも関わらず時給1000円足らず…の癖に生徒側が払うお金は高額…

一方、大学生協の斡旋による家庭教師だと時給は1.5倍近く。なのに、生徒側が払うお金は割安。

この違いは何なのか。一体どこへお金が消えているんだろうか。

「俺がせっせと機嫌伺いながら教えてんのに何でこんだけしかもらえねぇんだよ」と思ってましたが、

その答えは御存知の通り仲介業者にありました。

民間の事業者はどうしても利益を追求しないといけませんし、人も雇っていますからなるべく多く中抜きしてお金を稼がないといけません。ですが、大学生協は営利組織ではないので利益を追求する必要性がありません。だから中抜きされるお金が最小限になるわけです。


もちろん仲介業者が絶対悪なわけありません。安心と質の高い教育を保障するためには必要なのでしょう。

でも、僕は十分その質を保証したまま、むしろ今より高い質をオンラインで実現出来ると信じています。オンラインで実現すれば、人件費が削れ、余計な維持費がかからなくなり無駄な中抜きを無くせます。生徒が支払う授業料は下がり、講師が手にする給料は増える。双方が幸せな仕組みになります。

そもそもインターネットは人と人が繋がるというマッチングに非常に向いた仕組みです。家庭教師のマッチングであってもそれは変わりません。なぜ家庭教師の斡旋が未だに旧態依然としてるのか。インターネットというピッタリなテクノロジーがあるんだからそれを活かさない手はありません。このおかしな状況に変えたい。その一心です。

ただクソダサいことに、このクラウドファンディングの勝ち方が分かんないですよ。どうやったら集まんのかわかんない。とりあえず「えいっ!」って申請したら通っちゃったから笑

手探りに、軌道修正しながらやっていくしかないです。


こんな不恰好なんですが、これから1ヶ月この勝負に勝てるように全力を尽くします。支援、拡散して頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。

 

Win-Winな家庭教師と生徒のマッチングサイトが作りたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

 

※クラウドファンディングのアドバイスでも事業自体に関わりたいとかでも、あれば何でも気軽に連絡とってもらえればと思います。

ムラカミ(@yu8_muraka3)さん | Twitter

耳障りの良い『アクティブラーニング』に惑わされない、真の学力とは何か?【新しい学力】

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アクティブラーニングと聞くと、さも素晴らしい次世代教育のような気がする。しかし著者は、そのアクティブラーニングという耳障りの良い言葉に惑わされないよう警鐘を鳴らす。真の学力とは一体何なのか、そんな議論が『新しい学力』では展開されている。

まずはアクティブラーニングと新しい学力の定義をしてからザックリと筆者の主張をまとめ、最後に僕の意見を書く。

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