仕事は分野で決めない方がいい?

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(こないだ初めて出した役満国士無双」、震えた)

しばらく考えていた事に一応の答えが出せたので書き残しておくついでに、みなさんにも問いかけしたい。仕事をどのように決めるかについて。熱狂できるものの出会い方について。

僕らは仕事を考える時に、つい職種や分野で考えがちだ。金融系がいいとかIT系がいいとか。なぜ、そういう思考回路で考えてしまうかというと、それは小さい頃から受けてきた教育の影響によるものだと思う。

みなさんも一度は、保育園でも小学校でも中学校でも「将来の夢は?」と聞かれたことがあるだろう。そしてその「将来の夢は?」とは殆どの場合、職業について聞いている。ケーキ屋とかね。

僕も例外なく何度も聞かれてきて、コロコロ変わりやすい性格の僕は、保育園の頃は「(ガソリンを運ぶ)ローリーの運転手」「ベッカム」が将来の夢で、小学校の時は「建築士」とか「企業家(こっちの字の)」だった。中学校では「総理大臣(半ば本気)」とか、ニュースでたまたまボーナスの額が半端ない事を知って「最高裁判所裁判長」になりたいとか言っていた。けどすぐに日本で1人しかなれない事を知り、「やめよう」と思った。笑

 

それからは漠然と「自分で何かしたら楽しそうだな」みたいなのを思ってた。(ダサい)

高校入ってもそんな事は思っていて、当初は文系行こうと決めてたけど、進路面談で「それなら理系に行った方がいい」みたいなのを担任の先生に言われて、「確かにな」と自分の中で腑に落ちたので、理系へと急に方向転換した。

 

こんな感じの環境で育ってきたため、仕事とかを考える時には当然のごとく、業種だったり分野・領域で考える癖が付いてしまっていた。

それで最近丁度、そんな癖通りに自分はどの領域に興味があるんだろうというのを職業、分野の観点から真剣に考えていた所、そんなものはないという事に気が付いてしまった。これには驚いた。教育分野に一定の関心はあるものの、人生を懸ける程熱中出来るかと言われれば、即答で「No!」だ。

機械学習人工知能を利用した外食産業へのアプローチも考えてみたけど、それも熱中出来るかと言われれば問答無用で「No!」だった。

僕は世間で言われてるほど「ブレる」ことに関して否定的でないし、むしろ肯定的ではあるものの、この事実に気付いた時はさすがに「あぁ、自分は何にも熱狂出来ないのかもしれない」と虚しく、悲しく、情けなくなった。

 

それでしばらく悩んでいた時に、ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイの前澤友作氏のスピーチ動画をYouTubeで見つけた。

そこで彼は、仕事を決める時にはもっと抽象的な「なんのためにするのか、それをやって最終的にどうしたいのか」みたいな事から逆算して考えるといい、みたいな事を語っていた。これには目から鱗だった。

なぜなら抽象度の高い目標を据えることで、やりたい仕事や職種、分野などはその抽象的な目標を達成する為の"手段"とみなせることになるからだ。

例えば仕事として、「芸能人」を目的にしてしまうと、芸能人という職に向いてなかったり、芸能人という職に熱中出来なくなった途端に行き詰まってしまう。

しかし、「人を笑顔にしたい」みたいな抽象的な目標を据えると、たとえ芸能人を諦めざる得なくなっても、YouTuberでもそれは達成出来るし、ブライダルプランナー、ホテルの支配人、はたまた料理人など様々な職種、分野から達成する事が可能になる。その中から自分が向いてるものや、熱中出来るものを選び取って、仕事としていけば良い。ある1つの抽象度の高い指針を元に仕事を選び取るこの方法なら、闇雲に熱中出来る仕事を手当たり次第探すよりも、方針みたいなのがあるおかげで、熱中出来る仕事に出会いやすく(気付きやすく)なる気がする。

  

そもそも手段は代替可能だが、目標は代替不可能なものだ。「外資コンサルタントとして働きたい」みたいな感じの目標で生きてしまうと、「違うな」となった時にどうしたらいいのか分からなくなってしまうだろう。

しかしこの「外資コンサルタントとして働く事」が、さらに抽象的な目標を達成する為の手段ならば、たとえ「違うな」となった場合でも、異なる手段を取ればいいだけの話になる。しぶとく生きるためにも、人生の選択肢を増やすという面でも、この考え方は戦略的で有用なのだ。

 

また、抽象的な目標は考えて見つけるものでもないとも思った。自らが日々生活する中で、どういった事に興味があり、幸せを感じるかをちゃんと観察すると、それは自然に見つかるものな気がする。抽象的な目標は直感的なのだ。

先ほど、「目標は代替不可能」と言ったのはそのため。直感に強く紐づけられているがために、抽象的な目標を変える事は簡単には出来ない。直感なんてものはスキルのように即効で身につくものではないから。

 

これらの考え方は一見高邁で理想主義的に見えるが、上にも書いてある通り、実際はかなり戦略的で合理的な方法だと感じる。

 

そもそも熱狂出来る仕事なんてものは考えて見つかるものでもないし、ある時ふと気付いたり降りてくるものだろう。でもだからといって闇雲にやるのではなく、こうした1つの大きな指針を軸に生きていれば、早い内に見つかるものだと信じている。そして信じる事にした。とりあえずいまは。

 

僕は今のところ「こうしたらスムーズに動くしスッキリするのになーみたいなシステム等を作ること。そしてそれを実際に自分の目で確かめること」に直感的喜びを感じることに気付いた。簡単な例でいうとエスカレーター。エスカレーターとか左ばっか並んでないで右側にも止まって並べばいいのにな。みたいなやつ。普通に考えれば、論理的に考えればそっちのが良いのにみたいなのが世の中ゴロゴロ転がっていて、こういうのをあまり許せないたちで。。。これが抽象的な目標。

 

この仮説もこの抽象的な目標の一部である「自分の目で確かめたい」にあたるので、確かめようと思う。まずは手当たり次第「こうなった方がいいっしょ」っていうものを身近に出来るところから作りながら。

 

僕は学生かつ、かなり未熟者で社会で仕事なんてした事がほとんどないから分からないが、頭で考えるぶんにはあまりズレたことは言ってないように思える。経験豊富なみなさま的にはどう思えるのだろうか。

自身と格闘する人間は美しい

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中学、高校を同じくした大切な友人が神奈川に遊びに来てくれて、3日ほど一緒に過ごした。

自分も不慣れな神奈川だけれども、中華街、みなとみらい、鎌倉、長谷、江ノ島といったベタなスポットを回りつつ、久々の再会ということでバカな話から真剣な話まで語り尽くした。

くだらない下ネタは中学時代から遜色なくて最高であったし、真剣な話は中学時代から進歩があって最高であった。

 

そうして話を聞く中で、彼は自分が去年直面していた似たような問題、というよりも苦しみに陥っていたので「ふんふん、わかるわかる」と話を聞いていた。

もちろん一応経験した身からの出来うる限りのアドバイスも当時の事を振り返りながらした。

 

話を聞いてる中でやはり思ったのは、題にもある通り「自身と格闘する人間」の尊さであり、美しさだ。

 

別にこのまま道を歩もうと思えば歩めるし、他人から見た表面的なスペックは申し分無い。だけれども、自分の中に現状への違和感があってそれと向き合おうとしている。

これは巡り巡って自画自賛みたいになってしまって嫌だが、中々出来るようで出来ないことだろう。そうした違和感を見て見ぬふりをする人が多いように感じる。

恐らくそれは、自身が漠然と描く理想とその違和感を抱える現状との間にある強烈なギャップを目の当たりにし、とてつもない苦痛を伴うからだろう。

だからみんな「良い大学入ったし」だとか「このまま就職すればとりあえずは安泰」とか本質的な部分であり最も大切にするべきはずの「自身の感情」から離れた、表面的な物差しで判断を下して、自分と向き合ったフリをしがちだ。

本当は自身と向き合うことが大切だと分かっているのに、そのギャップを感じるのがツライために、自身と格闘するのを諦めてしまう。

そして刹那的にいまある手軽な楽しさという名の楽を選択する。

そうした選択を重ねていった結果、だんだんと自身と格闘しない事が癖となり、格闘の仕方を忘れてしまう。

そのため、そうした違和感や違和感に従った選択を相談すると、自身と格闘する事を忘れてしまった大体の人は違和感を大切にする行為の選択には否定的な態度をとる。

たしかに、他人にはその人が抱える違和感が見えなくて表面的なスペックしか見えない為仕方ないのかもしれない。

だが、これはその人自身が自身と格闘するのを忘れてしまい、違和感というものに鈍感になっているからであるとも考えられる。違和感を大切にしたり、自身と格闘する感覚を忘れてしまっている為に、相談相手が違和感に従った選択をする事を理解出来なくて否定しまうのだろう。

僕はこれをすごく残念な事だと思う。自分の尊厳であったり、アイデンティティは自身との対話や格闘の中で培われるものだからだ。違和感に鈍感になり、自身と格闘出来なくなった人間はそうした自分の尊厳みたいな物を失っていき、ますます表面的な物差しや他人や社会が定めた物差しで相手のみならず自分を測ってしまう。

イチローは自身の故障に気付きやすくしたり、違和感に敏感になるためにトレーニングをしたり、スタイルをキープしている。そうすると身体がおかしい時にセンサーを発してくれるという。安打数や打率といった表面的な乱高下する成績に左右される事なく、長年トップレベルで走り続けてこられたのは、そうした自身の違和感や感覚を大切にし続けてきたからだろう。

これとは逆に自身と格闘、つまりはトレーニングをしない人は違和感に鈍感になり、表面的な物差しに左右され、人生の故障に知らず知らずに陥っていく。これほど辛い事はないし、残念なこともない。

一時の苦しみから逃れ続けた結果、慢性的にそうした状態に陥ってしまうのだ。

そしてそうした人間に限って一見すると社会に上手く適応しているように見える。だけれども、それは他人や社会が定めた物差しで自分を測る癖が付いてしまっているがゆえだ。社会が定めた物差しで測る能力ばかりが上がっていって、皮肉にも上手く適応出来てしまう。

それが果たして本来の人間の姿なのか、幸せな事なのか僕は疑問を感じる。みなさんの周りにも愛想が良くて、友だちが多くて、誰とでも仲が良くて、恋愛もいい感じで〜みたいな人*1はいないだろうか。

もちろんそうした人にも自身と格闘する人がいるのは知っているが、往々にしてそんな感じの人に限って薄っぺらくて醜い。丁度それは苦しいトレーニングする事をやめて、ブヨブヨの身体になっている中年男性のようだ。

そんな苦しみから逃れ続けたブヨブヨの人が美しいわけがない。

他人には理解されないながらも違和感を大切にし「自身と格闘する人間」は強烈な苦痛に苛まれているが、それゆえに余分な脂肪が削ぎ落とされスリムでめちゃくちゃに美しい。

 

僕の友人がそんな人で嬉しい。僕ももっと格闘せねば!

 

 

 

*1: あくまで一例なだけで、友だち多い人がそうであるというわけではないです。ただこういうタイプにそうした人が多いというのは観測範囲で感じる事です。

対人関係の悩みを無くす方法

「人間の悩みの全ては対人関係の悩み」と言ったのはアドラー。つまり対人関係の悩みを解決すれば人間の悩みはなくなるということ。

感覚で考えると「ホントにそうか?」と疑いたくなるけど、事実ベースで考えるとおおむね同意出来る気がする。何と言っても人間は社会の中で生きる人間だ。何をしようにも他者と関わらざるを得ない。つまり何かをして発生する悩みのそばにはいつも他者がいて、他者がいるばかりに悩みが発生する。であるならば、悩みを無くす方法は他者を排除するか、他者との悩みを解決するしかないわけだが、他者を排除して生きることは出来ないので、必然的に他者との悩みを解決する事、対人関係の悩みを無くす事になる。

それで早速その悩みを無くす方法だが、勿体ぶっても仕方ないので言ってしまうと

「自分と他者の課題を切り分けて考えること」

これのみだ。

細かいことを言うと、

・自己受容

・他者信頼

・他者貢献

が一応ゴールとして設定されてるんだけど、上の「自分と他者の課題を切り分けて考えること」さえ意識しておけばいいと思う。結局この3つもこの考えに回帰するから。

ではどうして自分と他者の課題を切り分けて考える必要があるかというと、「他者の課題に踏み込んでしまうこと」それ自体が悩みを引き起こしているからだ。

例えば、「何かを手伝ったり、頑張ったりしたのに誰も褒めてくれない」みたいな悩みは、何かを手伝ったり頑張ったりするのは自分の課題で、それを褒めるかどうかは他者の課題である。でも我々はつい「誰も褒めてくれない」という他者の課題の部分を悩んでしまう。他者が自分を褒めるかどうかなんてのはコントロール出来ないことなのにだ。コントロール出来ないということは解決出来ないということで、我々は解決出来ないことを悩んでいるのだ。こんな無駄な話はないし、そんなもの悩んでしまうのも当然だ。そもそも解決出来ないんだから。そして、解決出来ないからまた悩む。悩むけど、他者の課題だから解決できない。で、また悩む。堂々巡りとはまさにこのことで、恐ろしいスパイラルだ。

そう、我々は自分の課題に対して悩んでいるのではなく、解決しようもない他者の課題に対して悩むというスパイラルにはまっている。

 

ということは解決策としては、解決しようがないことは悩まないということになる。悩まないんだから悩みだって消える。こういうこと。なんと斬新で潔いのか。

悩みを解決するアプローチではなく、悩みそのものを無くすというアプローチだ。

そしてそれは他者の課題に踏み込まない事で実現でき、自分の課題と他者の課題を切り分けることから始まる。

砕けて言うと、悩んでも仕方ない、だったら悩まなければいいじゃん!ということ。こう書くと少々乱暴に聞こえるけど、間違った事は言ってないはず。だって解決しようがないんだから。

象を水辺まで連れて行くことは出来るけど、象が水を飲むかどうかは象次第でそこからは他者の課題なのだ。無理矢理飲ませる事は出来ない。出来る事はただ待つのみ。飲ませる事を悩んでも仕方ない。

これと同じだ。散々言うが、とにかく他者の課題に踏み込まない事、自分と他者の課題を切り分けて考える事。これさえ意識しておけば悩みそのものが無くなる。

 

「Aくんに嫌われてる」みたいな悩みだって、どんな行動をしても嫌う人は嫌うわけで嫌うかどうかは他者の課題なんだからそこに踏み込んで、自分を曲げたり悩むのは無意味ということになる。

すなわち、他者の課題は自分にはどうすることもできなくて、コントロール不能な事なんだから、諦めて自分の課題に集中した方がいいという事。

 

みなさん、他者の課題に悩む事をやめて自分の課題を解決しよう!

 

で、これはアドラー心理学を分かりやすく噛み砕いた「嫌われる勇気」から学んだこと。もっと深く知りたい方はぜひ!

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

完全負け戦だけど、クラウドファンディングに挑戦します

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タイトル通りこの度、クラウドファンディングに挑戦することになりました。

初めてなりにちゃんとプロジェクトを作ったとは言え、ぶっちゃけ審査に通ると思っていなかったので驚きです。

そして正直クラウドファンディングというと社会貢献だったり、自己実現のためのプロジェクトが多い中で、僕のプロジェクトが言ってしまえばビジネスという自己利益の割合が高いプロジェクトであること。

また現時点での僕自身の認知度や信頼度が低いこと。

この2点から圧倒的不利な状況であることは間違いないです。まぁ普通にこのままやってたら1円も集まるわきゃない。

でもやるからには勝ちたい。どうせならプロジェクト成立させたいわけです。このサービスが絶対世の中にとって良いものだと確信しているから。

 

Win-Winな家庭教師と生徒のマッチングサイトが作りたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

 

アイディア自体に目新しさは一切ありません。実際、既に同じようなサービスはあります。しかも何個かあります。ぶっちゃけパクリみたいなもんです。パクリ野郎です。


でもパクリでいいです。


だって、どれも結果を出してないから。

既存の事業者を壊すような結果に至っていないからです。

 

せっかくサービスがあっても普及してなければ無いも同然です。家庭教師の斡旋という市場があるんだから、オンラインだとしても市場はあるはずです。なのに壊せてない。

 

だったら僕が壊そう、そういう事です。図々しいんで。

僕なりに思う現在のサービスの問題点はクラウドファンディングのページに書いておいたので、目を通して頂ければと思います。つまり改善すべき点、勝ち筋です。

 

Win-Winな家庭教師と生徒のマッチングサイトが作りたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)



そもそもなんで壊したいのか、壊す必要あるの?なんでお前なの?って話をすると、、、

僕自身の不愉快な経験に基づいています。

 

僕は、家庭教師がなぜこんなに中抜きされないといけないのか納得がいきませんでした。民間の事業者を使うと、それなりに一生懸命勉強してきて、それを活かしているのにも関わらず時給1000円足らず…の癖に生徒側が払うお金は高額…

一方、大学生協の斡旋による家庭教師だと時給は1.5倍近く。なのに、生徒側が払うお金は割安。

この違いは何なのか。一体どこへお金が消えているんだろうか。

「俺がせっせと機嫌伺いながら教えてんのに何でこんだけしかもらえねぇんだよ」と思ってましたが、

その答えは御存知の通り仲介業者にありました。

民間の事業者はどうしても利益を追求しないといけませんし、人も雇っていますからなるべく多く中抜きしてお金を稼がないといけません。ですが、大学生協は営利組織ではないので利益を追求する必要性がありません。だから中抜きされるお金が最小限になるわけです。


もちろん仲介業者が絶対悪なわけありません。安心と質の高い教育を保障するためには必要なのでしょう。

でも、僕は十分その質を保証したまま、むしろ今より高い質をオンラインで実現出来ると信じています。オンラインで実現すれば、人件費が削れ、余計な維持費がかからなくなり無駄な中抜きを無くせます。生徒が支払う授業料は下がり、講師が手にする給料は増える。双方が幸せな仕組みになります。

そもそもインターネットは人と人が繋がるというマッチングに非常に向いた仕組みです。家庭教師のマッチングであってもそれは変わりません。なぜ家庭教師の斡旋が未だに旧態依然としてるのか。インターネットというピッタリなテクノロジーがあるんだからそれを活かさない手はありません。このおかしな状況に変えたい。その一心です。

ただクソダサいことに、このクラウドファンディングの勝ち方が分かんないですよ。どうやったら集まんのかわかんない。とりあえず「えいっ!」って申請したら通っちゃったから笑

手探りに、軌道修正しながらやっていくしかないです。


こんな不恰好なんですが、これから1ヶ月この勝負に勝てるように全力を尽くします。支援、拡散して頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。

 

Win-Winな家庭教師と生徒のマッチングサイトが作りたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

 

※クラウドファンディングのアドバイスでも事業自体に関わりたいとかでも、あれば何でも気軽に連絡とってもらえればと思います。

ムラカミ(@yu8_muraka3)さん | Twitter

耳障りの良い『アクティブラーニング』に惑わされない、真の学力とは何か?【新しい学力】

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アクティブラーニングと聞くと、さも素晴らしい次世代教育のような気がする。しかし著者は、そのアクティブラーニングという耳障りの良い言葉に惑わされないよう警鐘を鳴らす。真の学力とは一体何なのか、そんな議論が『新しい学力』では展開されている。

まずはアクティブラーニングと新しい学力の定義をしてからザックリと筆者の主張をまとめ、最後に僕の意見を書く。

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絶望的な状況を打開してみる重要性

ちょうど一年前くらい。去年の7月、僕は人生に半分絶望していた。単位を思うように取れず、希望の進路に進めず、興味ない念仏のような講義を延々聞く毎日。正確には聞いてない。毎日大学には行くものの、講義なんか聞かずにぼーっとしてた。自分のせいといえばそうなのだが。。。

とりあえず教室に入って適当にスマホをいじって、友だちの演習問題を写させてもらって、昼時になったら学食でご飯を食べる。

これをひたすら繰り返してた。

 

せめて何か自分でやれよとか今だと思うんだけど、そもそも生きることに消極的になっていたし、困難な要求だ。

というか、問題が山積みで何から手をつけたらいいのか呆然としていた。

「このまま興味ない勉強を留年を何回かしながら、なんとか終わらせて適当に就職するのか」とか思ってた。

大学自体のレベルは高くて、普通なら羨ましがられる状況なのかもしれないが、ただただ苦しかった。むしろそれが余計僕を苦しめていた。ここでは勝てないとも悟った。

 

でも、僕は幸か不幸か欲深かった。

 

そんな見通しの立つ生活に僕の興味は掻き立てられないし、ましてや興味ない勉強をあと2年以上も続ける事に耐えられなかった。

何で高いお金を払ってそんな時間を無駄にしなければならないのか理解不能だった。

 

もちろん、勉強していくうちに興味が湧く可能性だってあっただろう。もしかしたらその分野の才能を秘めていたのかもしれない。でも当時その勝ち筋は全く見通せなかったのだ。

 

そして僕にとって重要なのは、今だった。今その瞬間ワクワクしていたいし、その時興味ある事に手を付けていたかった。

 

だから全てをリセットするために、違う大学に入り直すことを決心した。

 

 ちょうど一年前、この決心を周りに話したら基本的に反対された。少なくとも良い反応をする人はいなかった。

 

「せっかくいい大学入ったんだから勿体無い」

 

基本コレ。同意は得られないと薄々分かってはいたものの苦しかった。

唯一父だけが、「一回チャンスをやる」と了承してくれた。

 

僕からしてみればこれ程苦しい日々を続けるのはもう無理だった。生きてる意味や目標を見失っていた。

 

とりあえずこの状況を脱したい。その一心だった。ブログを始めたのもその頃だった。何か変わったらいいと思って始めてみた。

 

普通大学を入り直すとかだと、やりたい事があるものだけど、その当時やりたい事が明確にあったわけでなかった。ただ、今この状況を何とかしたかった。

 

それからは2年ぶりに参考書を引っ張ってきて勉強したり、久々に赤本なんてものに触れながら大学の勉強とは別に受験勉強していた。

 

その最中にも、この選択は正しいのかどうか常に不安だった。「もし落ちたら、、」とか「受かったとしても、、」とか、ふとした瞬間に涙が出るほど精神的に不安定だった。

 

そんな最後まで自分の選択が正しかったのか確信が持てなかったが、なんとか2度目の受験を乗り越え、いま新しい大学にいる。

 

そしてこの選択は今のところ正しかった。今、毎日が楽しい。一年前、絶望してたのが嘘のよう。ワクワクしてる。

 

とりあえずやってみて良かったと思えてる。

 

しかしきっと僕は恵まれてる。まず、状況を打開するチャンスをもらえた事。 そして幸いなことにこのチャンスを掴めたこと。

 

もし同じように現在の状況に苦しんでる人がいたら、どうか諦めないでほしい。きっとその環境が「合って」いないだけ。

合う場所に行けばまた輝ける。

今まさに僕は、ちょっと慣れてぬるま湯に浸かり始めてる現状をまた打開しようとしているところだ。

僕も打開する。一緒に打開しよう。

少しだけ普通の生活を捨てることにした

久しぶりに書く。けど、これからはなるべく更新したいし、書きたくなるような行動を起こしたい。なんで書いてないかって言ったら特別書きたくなるような面白いことを起こせてないからなんだろう。

だから書かざるを得ないくらい面白い行動を取り続けたい。

 

さて、そんな軽い決意表明みたいなのをしたところでタイトルについてなんだけど、ちょっと大袈裟すぎた気はしてる。

 

別にそんな凄くない。けど、色々捨てる決心が付いたから書き残しておこうと思って書いてる。

 

まず、捨てるものをざっと書いてくと

「サークル」「遊ぶ時間」

 

こんだけだ。

 

あれ?たったこれだけ?って感じだ。多分ザラにいるし、大学の講義を捨ててる人だっているだろう。けど、悪いけどそこまでは出来ない。半捨てくらいまではしようと思うけど、まず全捨ては難しい。結果的にそうなるのであれば全然いいんだけどね。

 

ここまで、読んでくれた人はありがとう。意味わかんないよな。唐突にこんなこと書かれてあっても。まぁ、軽く言うと「ちょ、金稼ぐか」って感じ。カッコいい言葉でいうと起業とかなんだけど、別に登記とかは先の話になるだろうから、まず自分で色々作ったり、動いたりしていこうってこと。

なんで、また急にってなるかもしれないんだけど、

昨日インターンの面接にいったらそこの社長が、「うちで働くんじゃなくてやっちゃいなよ」ってジャニーさんの「YOUやっちゃいなよ」みたいなノリで言われたから踏ん切りがついた。そんだけ。

あと、「結局いま始めないってことは本気じゃないってことだよ」も響いた。悔しすぎた。

 

だからやる。これくらい外圧かかんないと動かない自分が恥ずかしい。けど、やる。そしてそのためには捨てないとダメだって気付いた。「サークルやって、友達と遊んで、それで金も稼ぎたくて、起業して成功したいです。」とか2年前くらいのじぶん、っていうか一昨日までの自分は妄想してたんだけど、虫が良すぎた。アホだよアホ。そんな甘い話あるか。なんもスキルねぇのに。トレードオフなんだよ。ふぁっく。

 

というわけで、パッと思いついた人誘って「お前もサークルやめるよな」って言ったら「起業は興味あるけど、、それは唐突過ぎる」って2人くらいに言われた。まぁ、普通そうだよな。

2年前の自分を見てる気がした。自分は散々大学で2年遊んだり、ぐーたらしたからもういっかなって思った。せっかく大学入り直して一年になったわけだしね。もうバランスとるのやめます。んで、とりあえずやり続けます。

 

なんか作れたらブログに書こうと思うからその時はお願いします。

 

P.S.そいえば一年前に大学やめて〜ってエントリあったけど、やめれるのはすげぇなとは思う。自分はやめれないし、出たい講義は出ようとしてるから。うーん、、、まぁこの辺のバランスは勝手に崩壊して欲しい