おばあちゃんの服が揃いも揃って同じ理由が極めて合理的で、哲学を覆してしまった

よくおばあちゃん達が着ているあの服。
あれは一体なんなのだろうか。微妙な配色に不規則な幾何学模様。

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笑顔が素敵だ。

例え足腰が弱くなって杖を使わざるを得なくてもこの服を着ることによってそこまでの満面の笑みを浮かべられるようになるというのだろうか。

コチラまで笑顔にさせられる。

これが集団になると

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見事だ。

実に見事。

Excellent!!!!!!!!!!!

Bravoooooooooo!!!!!!!

西洋人も思わず感嘆の声を上げてスタンディングオベーションの嵐だ。


拳を天につき上げる様からは「まだまだ天国には召されない」という確固たる信念が感じられる。


同じく拳を天につき上げるこのポーズとはワケが違う。

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っておおおおおおおおい!



テメエも拳突き上げろよ!!!


せんせー、約一名拳突き上げていない子がいまーす。



そして彼女らのファッションもそこら辺のファッションを得意げに語る自称モデル達よりもよっぽど自らに似合っている。

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どうだろうか?

そこになんの信念も持たない、他人の文脈でしか語れず背景の無い、男ウケしか考えないファッションに身を包むファッションモデルに対して、中には半生を寄り添った男を亡くし、あとは極楽浄土を一心に目指すのみが表現する人生の集大成、これが最後の衣装の可能性があるものだけが成せるあらゆるものを捧げたおばあちゃんファッション。



なんということでしょう~



ダサい。

とってもダサい。

他の追随を許さないダサさだ。



だが笑顔の弾け具合が違う。

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残りわずかな人生の最後の時間を全力で謳歌する姿は和田一浩の、サンプラザ中野くんの、松山千春の頭よりも眩しい。

しかし、彼女らがそこに持つものは一体なんなのだろうか。なぜこのようなダサい服を揃いも揃って選択するのか。

ダサいの権化・菊池雄星もびっくりのダサさである。

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ただその問いになんとなく、鼻をほじりながらパクパクしてたら答えが出せた気がするので書き留めておく。

おばあちゃんはカメレオンなのだ

おばあちゃんは常に身の危険を感じている。日本の超高齢化社会において日本人の資産の多くは高齢者が占める。そんな高齢者はいつひったくりに遭うか、オレオレ詐欺に引っかかるか、いつ福山雅治が目の前に現れるか、いつカツラが外れるか、いつ自分の孫が寺田心になってしまうのかが気が気でないのだ。

そんな危険に溢れる街を普通に歩くのはあまりにも危険すぎる。その為、虫や動物が行う擬態という背景に溶け込むという手段をおばあちゃんが選んだというのは男におちんちんがあることと同様、容易に想像がつく。カメレオンになるとはなんて合理的なのだろうか。


おばあちゃんはカメレオンなのだ。シャクトリムシなのだ。


知らなかった。


おばあちゃんはシャクトリムシだったのか。

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おばあちゃんはカメレオンだったのか。

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どうだろうか。

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が擬態行為に見えてこないだろうか。

そしてこの擬態行為というのを多くのおばあちゃんが行うようになった。
それによって見事に街中の雑踏に溶け込むことに成功し、おばあちゃんという極めて奇特で暴力的で危険なカテゴリーに属するにも関わらず、皆が同様の格好をすることでその威圧感をさらに増大することに成功した。


雑踏に溶け込むことに成功し、威圧感のみをそこに存在させることに成功したのだ。「実存は本質に先立つ」と稀代の哲学者は語ったが、おばあちゃんはこのスマイルで覆してしまった。ここにはおばあちゃんの威圧感という本質のみが存在している。

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いかがだろうか?

見事に街中に溶け込んでいると思わないか?


俺にはおばあちゃんがどこにいるか見えないのだが。



気を取り直して、勿論渋谷スクランブル交差点でもこれは可能だ

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素晴らしい!

Excellent!!!!!!


109にも溶け込むことが出来るのはこの擬態行為によるものだとEカップの胸を張って言える。


おばあちゃんはどこにいるのだ?



さらになんと海外、NYでも実現した

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長身の白人にも引けを取らない、完璧なプロポーション。そして何と言ってもこのファッション。ファッションの最先端NYにおいても、計算しつくされたデザインに身を包むことでやはり擬態化を可能にしてしまっている。

どこにおばあちゃんがいるのか全くわからない。

おばあちゃんどこ?

ウォーリーを探せを小1の算数ドリルとするなら、おばあちゃんを探せは司法試験級の難易度と言っても過言ではない。





と、ここで重大な事実に気付いてしまった。


なんと



俺は



ずっと



目を







つぶっていたようだ



それは見えないわけだぁ!!!!!

バイバイ!