ムラカミ、ダヨ!

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ムラカミ、ダヨ?

このブログはふぃくしょんです。

なぜオバさんは傲慢で恥じらいがないのか feat.僕のブログは不快らしい

雑記

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僕にしてはかなり優しく無いタイトルですね。

 

各方面からの批判の矢が突き刺さりそうで震えています。この振動で脂肪が燃焼されれば良いのですが。

 

ただ、理解しておいて欲しいのはこのエントリーで言いたいことは別にオバさんが傲慢だ、ウザい、邪魔だ、クサイ、ウンコだ、巨乳だということではなく、

 

"なぜ"傲慢なのか

ということです。

だから別に全てのオバさんが傲慢だということでも、特別な誰かが傲慢だというわけでも、一般論でオバさんが傲慢だということでもなく

僕の至って個人的な経験則から導いた

 

オバさんが傲慢だ

 

という考えを出発点にオバさんが傲慢な理由を考えていきたいと思います。

 

なので「オバさんは傲慢じゃない」という批判は全く効果がないのです。

 

(ここでは分かりやすくオバさんにしてますが、オジさんも同様です)

 

まず、オバさんが傲慢で恥じらいがないという話の前に少し違う話をしますね。

 

先日、僕は友人にブログの添削というかダメ出しというかカウンセリングを受けていたんですね。彼はブログをやっているわけではなく、一読者です。

 

それで、僕のブログは

 

不快だ

 

という凄く建設的で合理的な意見を調達することに成功しました。

 

これは僕にとって目から鱗でした。だってぼくはずっと自分の書く文章が面白い、ウィットだ、機知に富むと確信していたわけですよ。

 

なぜ、アクセス数が少ないかというと

 

僕の知名度が低いだけだ。埋もれているだけだ。という考えで、

 

発掘さえされれば、たちまちはてブは1000を越え、スマートニュースに載り、ツイッターで拡散に次ぐ拡散が巻き起こり、トレンドには

 

ムラカミ

 

という文字が踊り、ヤフーニュースに載り

 

お母さんからはLINEが入り、

 

Google本社でも話題になり、

 

現在「ムラカミ」で検索すると僕より遥か上にある

 

目の上のたんこぶこと

 

株式会社ムラカミ

 

を追い抜くことだって可能だと思っていたわけです。


株式会社ムラカミが無理でも、パン屋のムラカミくらいは抜かせるだろうと。

 

つまり、発見されていないだけだと思っていたんですね。

 

それがなんと驚くべきことに僕の文章が

 

不快だ

 

という根幹を揺るがす事実を突きつけられたわけです。

 

目から鱗で網膜が剥がれ落ちそうでしたが、なんとか繋ぎ止めよくよく話を聞くと、

 

僕の文章は読んでいると

 

恥ずかしくなる

 

そうです。

 

いわゆる、他人がスベってたりするのを見てこちらまで恥ずかしくなる現象が巻き起こっているそうです。

 

僕が肩肘を張りに張って笑いを追求している様がもう

 

サブい

 

ようです。

 

「どうだ、面白いだろ」という書き手の僕の意図が文章から滲み出すぎてて

 

恥ずかしい

 

ということです。

 

その一つに下ネタがあります。

 

僕は周知の通り、下ネタに対するハードルが人よりも5、6段低いです。

 

別に人前で「セックス」ということも「ちんこ」ということも全く恥ずかしくないですし、むしろ誇りを持って「セックス」と発言し、空気を振動させています。

 

というか、「ヤる」という俗語で逃げる事自体が恥であり、「セックス」と正々堂々と言う僕はなんて潔く、勇気あり、カッコ良いのだろうと自画自賛が留まるところを知らないわけですね。

 

ところが僕が振動させていたのは空気だけでなかったようです。

 

僕は読者までをも振動、いや震撼させていました。

 

読者は

 

サブい

 

と震えていたようです。

 

僕が下ネタを堂々とデカ文字で、太字化をして「どうだ、面白いだろ」とやってしまってるのが

 

サブい

 

恥ずかしい

 

のです。

 

ここで気付いたのが恥に対するハードルです。

 

僕が恥ずかしくないものを読者は恥ずかしいと感じてしまう。書き手と受け手の違いはあるにせよ、人によって

 

 

のハードルは違うというのは厳然たる事実として存在するようです。

 

僕は元来恥ずかしがり屋の性格です。授業中に発言するのは恥ずかしかったし、注目を浴びることが苦手でした。

 

僕は元々、恥に対するハードルが物凄く高い人間でした。恥な行為を嫌っていました。

 

ところが僕は今では平然と「ちんこ」と胸を張って言い放つことが出来るまでになりました。

 

これを成長と捉えるか退化とするかは意見の分かれるところですが、成長としてまず間違いないでしょう。

 

この驚くべき成長により現在では人よりも恥に対するハードルが下がっているんですね。

 

この原因、いや理由を発見出来ました。

 

それは

 

経験

 

です。

 

人間はやはり経験したことのないものに対しては怯えます。多少遠回りでもなじみの道を選択するように、経験したことには安心を覚えます。

 

これと同様の事が恥に対しても起きています。

 

つまり、一度人前で「セックス」と「ちんこ」と言い放つ経験をする事で

 

あ、大したことねーや

 

という境地に達することが可能になります。次回からはもう胸を張って、誇り高き「セックス」「ちんこ」を発音することを可能にします。

 

後から振り返れば大抵の物事は一度経験してしまえば

 

あ、大したことねーや

 

で片付けられるのは経験したことあるんじゃないでしょうか。

 

そして

 

あ、大したことねーや

 

が増えてくると一度通った道のように安心を覚えるかのごとく、恥に対しても鈍感になっていくのです。

 

例えば、ちょっと正当とは言い難いクレームを一度言ったとします。

 

それで、特に揉めるわけでもなく相手が言うことに従ったとしますね。

 

するとクレームを言った側は

 

あ、(ちょっと正当じゃないクレーム言っても)大したことねーや

 

となりますね。

 

このレベルの文句が通ることを知るのです。

 

すると、次回からもその経験が安心に繋がり、正当とは言い難いクレームを言うことに抵抗がなくなります。

 

こうした経験を積み重ねることで、恥に鈍感になりセーフティーラインを見失った傲慢で恥じらいのないオバさんが誕生するんですね。


オバさんは沢山の経験を積み重ねてきたからこそ恥に対して鈍感になって、他人からすれば傲慢だということを可能にしてしまってます。


これは僕自身がオバさん化していることからも発見できました。

僕は大学生になってから一人暮らしを始めました。別に県外の大学に通っているわけでもなく、実家から一時間程度で行ける距離です。周りからは「なぜ?」という疑問符が容赦なく投げつけられます。


まぁ、一人暮らしを始めるとやはり初めての体験というのは立て続けに起こるものです。生活する上で起きた物事に対処するのは自分しかいないので、必然的に経験を積み重ねることが増えてきます。


そうした普通の何の変哲もない経験が大多数を占める中にほんの一部だけ、今までの自分なら恥じていたであろう事象を経験することがあります。

するとそれとほぼ同レベルの恥、ここでは恥のレベル

Hレベル

としますが、(何だかすごくえっちですね)

同じくらいのHレベルならこなし始めるようになります。

こうして僕もここ1年で随分とHレベルを上げてきました。

レベル上げに勤しんだんですね。

高いHレベルを手に入れた僕は、段々と傲慢になっていると時々感じてしまうのです。

オバさん化です。悲しみですね。

このことが示すのは人間は引きこもりでもない限り、誰でも緩やかにオバさんに収束していくということですね。


We are OBASAN.

Viva OBASAN!!!!!


経験というのは生きていれば勝手に積み重なりますからね。自動的に経験値が溜まっていくんです。それで自分の意図に反して、

Hレベルが上がっていきます。勝手に上がります。残念でしたね。人間に生まれたことを後悔して下さいね。

時々Hレベルがカンストしているオバさんを見かけることがありますが、あのレベルになるともうモンスターですね。

どんな重課金をすればあんなHレベルに達するのか。謎ですね。



なりたくもないですが。


まとめると、

オバさんは経験を積み重ねることで、恥に対して鈍感化していきHレベルを爆上げすることに成功して傲慢で恥じらいを失っていくわけですね。


ご清聴ありがとうございました。



ちなみに、この記事のアイキャッチ画像をどれにしようかな〜とGoogle画像検索で「オバさん」と打って出てきた画像がこれでした。


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間違いなく

重課金勢です。


バイバイ!


※僕個人の考えでは、傲慢は人生を楽しく生きる方法の1つと捉えておりそんなに悪のイメージがないというのが事実です。