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サンタさんの正体

12月は世間がせわしない。みんな忙しそうだ。でも12月ってなんだか楽しい。クソみたいな一年を終わらせられるからだろうか。イベント盛りだくさんだからだろうか。後者であることを願うばかりだ。そんな楽しい12月の一大イベントの1つといえばクリスマスで満場一致だろう。Twitterではクリぼっちでいかにリツイートやいいねを稼ぐことが出来るか競争が激化する。

 

僕の地元の田舎ですらクリスマスムードに包まれており、地元のスーパーヨシヅヤでもクリスマス商戦に躍起だ。

そんなクリスマスが浸透しきっている今の日本では、クリスマスの朝目覚めると何者かによるプレゼントが届けられている。綺麗にラッピングされた紙を破く瞬間は楽しくて仕方ない。「中にはちゃんとお願いした物が入っているのかな?」期待と不安が入り混じる感情のボルテージは最高潮に達する。あの瞬間がたまらないのだ。

そのひとときをくれる何者かの名はサンタさんと言う。正式名称はサンタクロース。クリスマスの前の夜に良い子の元へプレゼントを持って訪れる人物のことだ。子どもにとって毎年おもちゃをくれるサンタさんは親と同じくらい大好きなオジさんだ。

当時小2の僕は、兄から「サンタさんなんていない」と吹き込まれようが、サンタさんの存在を微塵も疑うことはなく、「うるさい!サンタさんはいるから!!!」と言ってフィンランドにいるとされるサンタさんに手紙を送っていた。当時の僕にとってサンタさんは遠い北欧に確かに存在していた。

そんなサンタさんに小2の時に貰ったのが当時発売したばかりのニンテンドーDSだった。タッチパネルで操作する新機器に感動を覚えて、12月25日はカセットも買ってないのにDSで遊び倒していた。

「サンタさんありがとー」と思いながら、クリスマスが終わってからもカセットを買い足して遊んでいると、あっという間に次のクリスマスがやってきた。例のごとくまたサンタさんから贈り物を貰った。

その後も毎年、サンタさんからの贈り物を楽しんでいた純粋無垢な少年だったある日のことだった。

僕の家には買ったゲームの箱が収納されているボックスがある。箱有りの買取価格の方がいいから大切に取ってあるのだ。僕はそのボックスを時々漁る習性があるのだが、その日もなんとなく漁っていると小2の時にサンタさんに貰ったDSの箱を見つけた。

「小2のクリスマスに貰ったんだっけ?」と思い出に浸りながら、ふと箱の裏面を見た。

 

「保証書  〒000-0000 愛知県◯◯市◯◯11-11 ヨシヅヤ◯◯店」

 

「あれ?見間違い?」

 

もう一度見る。

 

「ヨシヅヤ◯◯店」

 

確実に的確にそこには「ヨシヅヤ◯◯店」が鎮座していた。

 

サンタさんはフィンランド人。ヨシヅヤ◯◯店は日本の田舎にあるスーパーマーケット。白髭を生やした真っ赤な服に身を包む、移動は専らトナカイのフィンランド人が日本のスーパーでプレゼントを購入していたのだ。

 

駐車場にトナカイを停めていたのだろうか?スーパーへ行く時だけはプリウスに乗るのだろうか?真っ赤な服でレジに並んだのだろうか?買い物の時はエドウィンのジーンズなのだろうか?スキニーなのかな?

 

なんて空想にふけることはもう不可能だった。「ヨシヅヤで買ったんですか?」と手紙を送るなんて発想も浮かばなかった。現実を見つめられるオトナへと知らぬ間に成長していたからだ。しっかりと地域に金を落とすような地域経済を回すフィンランド人がいるはずない。保証を律儀に取り付けるフィンランド人がいるはずない。トナカイでスーパーに向かう人間がいるはずない。どうやらサンタさんは日本人だった。僕のサンタは想定していた国籍と違った。ならば日本のサンタか?俺のサンタは日本国籍のサンタか?

 

近くにいた親に「これ」と見せた。

 

 

首を横に振る。

 

 

違った。

 

 

ならば、まさか…

 

 

僕は「?」と唱える。

 

 

 

 

 

「そういうこと」

 

サンタさんの正体が「親」だと判明した瞬間だった。成長していた僕を現実へ引き戻す決定打となった。

しかし、特に泣き叫ぶわけなくその新事実を粛々と受け入れた。なぜならオトナに成長していたから。ついにサンタ卒業をした。「保育園卒園」以来の卒業。こんぐらちゅれーしょん。

僕のサンタはフィンランド人でも日本人でもなかった。正確に言えば日本人だが、その姿かたちは休みの日にはテレビを前に横になる中年のおじさんだった。おーまいがー。

※写真はイメージです←まさにこれ。

 

とはいえ粛々と「サンタはいない。正体は親」という事実を受け入れた。

 

サンタ卒業から10年近く経った今でも、僕はクリスマスになるとプレゼントを貰う事はないが、気持ちが昂ぶる。それは幼き頃のサンタさんが今でも心のどこかに宿っているからかもしれない。

今年のクリスマス、一体何人の子どもがサンタさんの正体を知ることになるのだろうか。現実へやってくるのだろうか。「サンタなんていない」兄が自分にやったように幼いいとこにバラしてやろうかなんてことを企む。

 

もちろんしないが、いつ気付くのか。

 

ワクワクがとまらない。「サンタさんは親だった」と知るまでも知ってからも。

 

 

P.S.フィンランドに送ったはずの手紙は何処へ…