自身と格闘する人間は美しい

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中学、高校を同じくした大切な友人が神奈川に遊びに来てくれて、3日ほど一緒に過ごした。

自分も不慣れな神奈川だけれども、中華街、みなとみらい、鎌倉、長谷、江ノ島といったベタなスポットを回りつつ、久々の再会ということでバカな話から真剣な話まで語り尽くした。

くだらない下ネタは中学時代から遜色なくて最高であったし、真剣な話は中学時代から進歩があって最高であった。

 

そうして話を聞く中で、彼は自分が去年直面していた似たような問題、というよりも苦しみに陥っていたので「ふんふん、わかるわかる」と話を聞いていた。

もちろん一応経験した身からの出来うる限りのアドバイスも当時の事を振り返りながらした。

 

話を聞いてる中でやはり思ったのは、題にもある通り「自身と格闘する人間」の尊さであり、美しさだ。

 

別にこのまま道を歩もうと思えば歩めるし、他人から見た表面的なスペックは申し分無い。だけれども、自分の中に現状への違和感があってそれと向き合おうとしている。

これは巡り巡って自画自賛みたいになってしまって嫌だが、中々出来るようで出来ないことだろう。そうした違和感を見て見ぬふりをする人が多いように感じる。

恐らくそれは、自身が漠然と描く理想とその違和感を抱える現状との間にある強烈なギャップを目の当たりにし、とてつもない苦痛を伴うからだろう。

だからみんな「良い大学入ったし」だとか「このまま就職すればとりあえずは安泰」とか本質的な部分であり最も大切にするべきはずの「自身の感情」から離れた、表面的な物差しで判断を下して、自分と向き合ったフリをしがちだ。

本当は自身と向き合うことが大切だと分かっているのに、そのギャップを感じるのがツライために、自身と格闘するのを諦めてしまう。

そして刹那的にいまある手軽な楽しさという名の楽を選択する。

そうした選択を重ねていった結果、だんだんと自身と格闘しない事が癖となり、格闘の仕方を忘れてしまう。

そのため、そうした違和感や違和感に従った選択を相談すると、自身と格闘する事を忘れてしまった大体の人は違和感を大切にする行為の選択には否定的な態度をとる。

たしかに、他人にはその人が抱える違和感が見えなくて表面的なスペックしか見えない為仕方ないのかもしれない。

だが、これはその人自身が自身と格闘するのを忘れてしまい、違和感というものに鈍感になっているからであるとも考えられる。違和感を大切にしたり、自身と格闘する感覚を忘れてしまっている為に、相談相手が違和感に従った選択をする事を理解出来なくて否定しまうのだろう。

僕はこれをすごく残念な事だと思う。自分の尊厳であったり、アイデンティティは自身との対話や格闘の中で培われるものだからだ。違和感に鈍感になり、自身と格闘出来なくなった人間はそうした自分の尊厳みたいな物を失っていき、ますます表面的な物差しや他人や社会が定めた物差しで相手のみならず自分を測ってしまう。

イチローは自身の故障に気付きやすくしたり、違和感に敏感になるためにトレーニングをしたり、スタイルをキープしている。そうすると身体がおかしい時にセンサーを発してくれるという。安打数や打率といった表面的な乱高下する成績に左右される事なく、長年トップレベルで走り続けてこられたのは、そうした自身の違和感や感覚を大切にし続けてきたからだろう。

これとは逆に自身と格闘、つまりはトレーニングをしない人は違和感に鈍感になり、表面的な物差しに左右され、人生の故障に知らず知らずに陥っていく。これほど辛い事はないし、残念なこともない。

一時の苦しみから逃れ続けた結果、慢性的にそうした状態に陥ってしまうのだ。

そしてそうした人間に限って一見すると社会に上手く適応しているように見える。だけれども、それは他人や社会が定めた物差しで自分を測る癖が付いてしまっているがゆえだ。社会が定めた物差しで測る能力ばかりが上がっていって、皮肉にも上手く適応出来てしまう。

それが果たして本来の人間の姿なのか、幸せな事なのか僕は疑問を感じる。みなさんの周りにも愛想が良くて、友だちが多くて、誰とでも仲が良くて、恋愛もいい感じで〜みたいな人*1はいないだろうか。

もちろんそうした人にも自身と格闘する人がいるのは知っているが、往々にしてそんな感じの人に限って薄っぺらくて醜い。丁度それは苦しいトレーニングする事をやめて、ブヨブヨの身体になっている中年男性のようだ。

そんな苦しみから逃れ続けたブヨブヨの人が美しいわけがない。

他人には理解されないながらも違和感を大切にし「自身と格闘する人間」は強烈な苦痛に苛まれているが、それゆえに余分な脂肪が削ぎ落とされスリムでめちゃくちゃに美しい。

 

僕の友人がそんな人で嬉しい。僕ももっと格闘せねば!

 

 

 

*1: あくまで一例なだけで、友だち多い人がそうであるというわけではないです。ただこういうタイプにそうした人が多いというのは観測範囲で感じる事です。